「日本で最も美しい村」連合

近年、日本では市町村合併が進み、小さくても素晴らしい地域資源を持つ村の存続や美しい景観の保護などが難しくなっています。私たちは、フランスの素朴な美しい村を厳選し紹介する「フランスで最も美しい村」活動に範をとり、失ったら二度と取り戻せない日本の農山村の景観・文化を守る活動をはじめました。名前を「日本で最も美しい村」連合と言います。私たちは、小さくても輝くオンリーワンを持つ農山村が、自らの町や村に誇りを持って自立し、将来にわたって美しい地域であり続けるのをお手伝いします。具体的には、「日本で最も美しい村」のシンボルマークを、日本のみならず世界的にも観光地や文化地域としての目印にするのが目標です。フランスでは既にガイドブックや地図に載るほど有名な活動に成長しています。自然と人間の営みが長い年月をかけてつくりあげた小さな、本当に美しい日本は、いまならまだ各地に残されています。それらを慈しみ、楽しみ、そして、しっかりと未来に残すために。自らの地域を愛する皆さんにご協力いただきながら、2005年10月に7つの村からスタートしました。 「日本で最も美しい村」連合

EXAPIECO INC ジュリアーノナカニシさん(日本で最も美しい村 季刊誌 編集長

私の仕事が自由にする。
私たちは普段、廃校になった中学校の一室でグラフィックデザインやウェッブサイトの仕事をおこなっています。NPO法人「日本で最も美しい村」連合との出逢いは2007年、ソトコト主催のロハスデザイン大賞のWEBサイト。私たちのエントリー作品のそばにあった、連合のロゴマークとその理念に強く惹かれました。社会のために汗水流し、労を惜しまない大人たちが現代の日本にいたのだ。山河を守り、地域の資源を磨き、美しい暮らしを取り戻す。人間らしくものをつくり、人間らしく人に接し、人間らしく感じる。私たちはこの運動に共感して賛助会員に加わりました。2011年3月11日に起きた福島第一原子力発電所の事故による放射能漏れによって、連合の仲間入りを果たした直後の飯館村の土地は汚染され全村避難を余儀なくされました。美しい村が人為的な事故により住めなくなるほどに傷つけられたことへの絶望感。私たちはより深く「日本で最も美しい村」連合の運動に関わろうと思い、機関紙づくりを始めました。2012年2月、連合の機関紙づくりを始めて以来、取材とアテンド、翻訳、校正、デザイン、印刷と多くの協力者の力を借り、「日本で最も美しい村」連合の加盟村を1箇所づつ訪ねて取材するスタイルで発行を重ねています。加盟村はどこも山深い地域や離島と厳しい自然条件の場所ばかり。その厳しく濃厚な自然とともに生活する人のお話しは、やはり濃厚で「本物のクリエイティビティとはこれだ。仕事の本質は自分で価値を生み出すことだ」と実践されてる人間ばかり。大きなものに頼らず自分で「仕事」を掴み取ろうとしている人の姿。自分の仕事でしか自分は自由になれないのです。
2016年3月24日 EXAPIECO INC ジュリアーノナカニシさん 日本で最も美しい村 編集室

同行取材

2013年から季刊誌の取材にカメラマンとして同行している。編集長との会話の中で私が質問した答えが魅力的だった。

「ダイナミックな仕事がしたい」

頭と胸に刺さった言葉が私の中で生きている。この言葉の中には人生の時間がたくさん詰まっていると思う。自分もそうで在りたいという気持ちがリンクした。私の勝手な解釈であり大変魅力的なフレーズだった。
取材で訪れた美しい村のお裾分けができたら幸いと思う。