被写体と対峙している時に感じるもの。

目に見える美しさ、見えない美しさ、感覚が捉える時に写真へ昇華してその美しくあるものが再現できたら… もう念力の域である。

誰しもがたくさんの道具を使い様々な表現ができるようになり、と言ってもデジタル技術が飛躍的に向上してからはよりパーソナルな領域で痒いところへ手が伸ばせるようになった。アナログもデジタルも一つの道具として扱い、自身の表現の幅は広がっていくことで満足感を得られるようになった。5〜10年遡ればプリントも現像も人まかせにしていた時期もあり、「こんなものか」と幾らでも溜息が出た。写真はデジタルに移行してから面白さや感覚が変化した。失敗に伴う出費が減った分ん機材へ回せ、自分の撮影データと長々とにらめっこするようになった。失敗は消去すことができる。表面的な技術は早々に上達したように感じる。

「撮影→レタッチ→印刷」までが自分で可能になったが、どうも落ち着かない感じに苛まれた。どこか足りない気がしてならない。

人それぞれに満足の及第点があろうとしても、何か抜けている感が否めなくなった。写真は面白いし、難しくもある。SNSの中での声や、会話の中でも写真について触れられることも少なくないのは嬉しいことだが、写真展期間中などで自分の写真の前を素通りされた時のあのザワザワ感は忘れられない。自分を知らない人にとって、自分の写真はインパクトが弱いのかも知れない。いやいや、そもそもの写真のインパクトが弱い気がするということに気が付いた。

その頃から撮影時には何か探している感を纏っている。迷うのとは違って探している感だ。そこには仮説も検証も色々と試したけど答えは自分の中にあるように思う。探し物は現在進行中であるけれどずいぶんと拾い集めたように思っている。決してネガティヴではない。できなかったことができるようになると見落としてしまうことや、奇抜さを求めてしまうことで本筋から擦れてしまうことがあるようにコンセプトの表面を優しく撫でているだけになってしまいがちである。自分の目標や作品群にしっかりと対峙すべきであると自分に言い聞かせていることである。

ここでは、仕事で訪れた諸外国や日本での取材先、個人的な作品群を羅列してみようと思う。